暖かな南風を受けて山の桜は花開き、川の水も温み始める春の季節を迎え、うららかな陽気に覆われながら新たに2019年度へと入った本日、この節目に当ブログ執筆者から読者の皆様へご挨拶をさせていただく。

 まず、本年度から当ブログは前著者の甥であるこの有馬次郎武一が執筆を引き継ぐことになったことをご報告したい。記事内容については基本的に私が訪れた史跡、飲食店に関するレポートや、読んだ本、見た映画に関する所感が中心になるので、宜しくご留意下さればありがたい。

 古くからの読者の皆様の中には当ブログに掲載された写真を通じて幼少期から私のことをご存知の方もいらっしゃると思うが、そうでない方も含めて皆、私の執筆する記事を通じて引き続きこのブログを楽しんで下されば幸いである。

 では早速、当ブログにおいて私が執筆する記念すべき最初の記事を以下に掲載させていただく。今回のテーマは食レポである。

 東京都文京区、本郷通りに面した家並みの中には多くの飲食店の看板が立ち並び、道ゆく人々の食欲をそそる。今回私が訪れたのはその中の一軒、ちょうど東京大学本郷キャンパスの南端、医学部の建物が立地するあたりの、通りを挟んだその向かいに店を構える、緑色の看板を掲げた中華料理屋、「蘭州牛肉拉麺」である。

 店の扉を開けば即ち、日本では嗅ぎ慣れぬ香辛料の香りが鼻を突き、空きっ腹の食欲を一層掻き立てる。

 代金は先払いだ。レジへ行きメニューに目を落とすと、なにやら料理の写真の上に赤色が目立つ。どのくらい辛味が強いのだろうか、と辛さに弱い私は心配になるが、ひとまず勇気を出して目玉商品であるらしい拉麺を注文する。学生は200円引きとなかなか親切だ。少食の私には関係のないことだが、確か無料で大盛りにも出来た記憶がある。

 拉麺を注文すると今度は店員が麺の太さを選ぶように言うのであるが、選択肢は確か細麺、普通、ニラ麺、太麺であった。「ニラ麺」は恐らく「平麺」の誤記だと思われる、平べったい麺である。後に何度か試した中ではこのニラ麺が最もつゆに絡みやすく、味わい深かった印象がある。

 注文後、席に着いて料理の完成を待っていると、時折厨房から何かを叩きつけるような大きな音が聞こえてくる。よく見えないので詳しいことは分からないが、どうやら大きな麺の塊を叩き切っているらしい。好奇心が掻き立てられる。

 更に待っていると時折、厨房の奥から長く節の聞いた声が、聞き慣れぬ異国の言葉を乗せて響いてくる。彼らの故郷の歌なのであろうか。しみじみとした異国情緒に店内が包まれ、海外に来たかのような感覚にさせられるのが心地よい。

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 などと店の雰囲気に浸っていると、間も無くしてお目当ての拉麺が到着する。ラー油であろうか、スープに浮いた赤い香辛料がいかにも辛そうであるが、恐る恐る口をつけるとこれがそれほど辛くはない。

 これならば行ける、と思い、箸で全体に撹拌してからいよいよ麺を啜り始める。塩気の効いた味わいの後のぴりりとした辛さが心地よい。僅かに入ったパクチーの風味も箸の進みを一層早める。牛肉や大根の煮込み具合も丁度良く、固すぎず柔らかすぎない、噛んで味わいやすい食感である。

 麺はもちもちとした食感があって食べ応えがある。注文を受けてから手で打っているためか、時々麺が小さな塊のようになっている部分があるが、きちんと火は通っており、食べる上で支障はない。むしろ素朴さというか、手作り感のような何かを感じさせる良いものであるとさえ思える。

 余談だが、何度か試したが、麺の完食後スープを全部飲みきることは、かなり塩気が強いこと、辛味がそれなりにあることなどから私には不可能であった。私は少食であるため大抵麺を食べきるだけで満足してしまうのだが、いつかスープもじっくり味わってみたいものだ。

 総括すると、このラーメンは見た目ほど辛くは無く、塩気がそれなりに強い。また、麺にはコシがあって満腹感が強い。

 この味付けを他の料理を用いて表現するならば、麺の素材が違うのであまり比較にならないかもしれないが、「ベトナム料理のフォーからパクチーを減らし、代わりに塩気を濃くしたもの」であろうか。私はすっかりこの蘭州ラーメンの深い味わいの虜になってしまった。

 余談であるが、写真の箸袋に書かれたイスラームのシンボルである月と、”Haral”の文字に注目していただきたい。これはこの店の料理に、イスラーム教の戒律で禁じられた豚肉が使用されていないということである。どうやらこの店の経営者はムスリムであるようだ。

 中国人でムスリムといえば、代表的なのが新疆のウイグル族と寧夏の回族である。どちらも西方の奥地、シルクロード上に住む人々だ。蘭州の位置する甘粛省は両地域の中間にあり、それぞれとの関わりも深いことであろう。店主のルーツがそのどちらにあるのかは知る由もないが、異国の香りと音に満ち溢れたあの店の空間に腰を据えて目を閉じると、シルクロードの大砂漠の情景が浮かんでくるのは私だけであろうか。

 それでは、食レポはここまでとし、最後に現在私が読んでいる本について、自分のための備忘録も兼ねて書き残して終わろうと思う。

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 現在読んでいるのはこの『河口慧海日記』(講談社学術文庫、2007年5月10日)である。河口慧海は20世紀初頭、鎖国下のチベットに潜入し、記録上日本人で初めてマーナサローワル湖やカイラス山などの聖地の数々に到達した僧である。彼がその過酷な旅の中で書き残した日記を活字に起こし、他の資料とも交えて経路の分析をしたのがこの本だ。

 修正を交えつつも日記をほぼそのまま活字に起こした第一部、日記から慧海の足跡を追って現代のチベットを旅した記録である第二部、そして最後に姪による慧海の追想記など、といった形でいくつかの章に分かれて一冊の本に纏まっている。

 私はつい先日、順当に第一部から読み進め、現在もそこを読んでいる途中なのであるが、いかんせん明治の人間が書いた文であるため漢文調であり、まるで書き下し文のような読みづらさなのだ。それに加えて現地の地名やチベット語の表現や仏教用語も多く、巻頭の地図や日記の月ごとに纏められた注釈を見ながらでないと読み進められないため、かなりの難読書である。

 もしかしたら第二部の現代語のものを読んでから第一部を読んだ方が内容の呑み込みが早いかもしれない。ただ、そうすると日記モノ特有の、書き手の足跡を辿っていく臨場感という楽しみが薄れてしまうのであるが。

 最後に、今まで読んだところに出て来た情報の中で面白いと思った二箇所を備忘録代わりに纏めておく。

 まず一つが、渡河に関する記述である。チベットは内陸部の乾燥した高原であるが、高所であるが故に降雪はそれなりにあるため、その雪解け水からなる大小の河川が流れている。しかしインフラが未発達であった当時はその川に架かる橋があまり存在しない。そこでしばしば浅瀬を徒歩で渡ることになるわけだが、慧海がある川において水量が多くて渡れなかった時の、案内人の提案が面白かった。案内人は明朝になれば水量が減るから、その時に渡れば良いと言ったのだ。これは夜間は寒さで雪解けが進まず、雪解け水の川への流入が少なくなるためである。このような現地の人の生活の知恵を知るのはとても面白い。

 そしてもう一つ面白かったのが、慧海がシェーという地を訪れた際、現地の信仰について書き記した部分である。このシェーの地には多くの奇岩が存在し、現地ではそれが過去の聖人の修行の跡であるとして崇められていたのであるが、慧海はこれを自然崇拝教と結びついた擬似仏教であり、正しい仏教信仰のあり方ではないと言って一刀両断している。更には「余は彼らの崇拝に嘔吐を催して、その愚を憐れむの外(ほか)なかりき」とさえ書いて、凄まじい嫌悪感を示しているのだ。慧海はこの二日前の記録において、この地に到着した際にあまり待遇が親切ではなかったと書いているので、間違った仏教信仰に嫌悪感を覚えたことのほかに、もしかしたらシェーの人間への不快感も重なって、このような辛口な記述になっているのかもしれない。このように日記を書く慧海の心情に考えを巡らせるのも面白い。

 また、この日記の所々には慧海が現地で詠んだ短歌が挿入されている。歌の元となった体験に関する記述を踏まえた上で、それらの歌に目を通すのもまた興味深い。また、彼は時々自作の短歌をチベット語に意訳しており、かなり教養の深い人物であることも伺える。

 以上のように、この本は様々に新たな知見を授けてくれるものであると思われるので、この先もじっくりと読み進めて行きたいところだ。また、将来はチベットに渡航することも考えているので、第二部に関しても貴重な情報源としてじっくりと読んでいきたいと思う。

 さて、今回の記事はここまでである。次回も私が引き続き執筆するので、是非楽しみにしていただきたい……と言いたいところだが、本日が四月一日であることを鑑みれば分かる通り、これは真っ赤な嘘である。次からは例年通り叔母が記事の執筆を続ける。

 それでもまだ私の記事が読みたいと思う方は、先日作成した私のブログである「仕方アルマジロ」をご覧になると良いだろう。

https://shikata-arumajiro.hatenablog.com

 私が管理するこちらのブログでは、今回の記事のような調子で今後も書き進めていくので、是非とも定期的に訪れていただきたい。それでは、拙著を最後までお読み下さったことへの感謝の言葉を述べて、このエイプリルフール記事を締めくくろうと思う。

 ここまで長々とお読み下さってありがとうございました。互いに良い一年をお送りいたしましょう。それではさようなら。